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鮫島純子(渋沢栄一孫娘)夫との結婚式が凄まじい!子供と生き抜く戦争

 
鮫島純子
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2019年5月3日(金)に放送される【爆笑!THEフライデー】の「あの人は今…驚きの人生激変SP!」で、新一万円札に選ばれた渋沢栄一の孫娘は今…と、鮫島純子さんが取り上げられていました!

 

夫との結婚式が、現在を生きる私たちでは考えられないほど凄まじいものだったのです!

 

子供と必死に生き抜く鮫島純子さんのことをお伝えします!

 

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鮫島純子が結婚したのはいつ?

 

鮫島純子さんのプロフィールのご紹介は鮫島純子(渋沢栄一孫娘)兄弟は4人!幼少期はおてんばで活発な子供!で、書いていますが、結婚した年齢もご紹介していました。

 

鮫島具視画像提供:直球感想文・和館/岩倉具視氏

 

 

結婚したのは1942年(昭和17年)の20歳の時岩倉具視の曽孫である鮫島員重さんと結婚されていますが、両家の母親同士が華族女学校という学校が当時あって、同級生だったんです!

 

鮫島員重さんは海軍の短期現役中でしたが、軍人が足りずに文芸大学出の人を経理学校に入れて軍に配属するという事に決まり、第1期生として横須賀の海軍基地の主計長で、艦の経理業務・貯蔵食料品の管理などを主な任務としていました。

 

主計長は航海長や軍医とともに軍に所属はしていましたが、艦尾(軍艦の後尾)や甲板(船のデッキ)に居て、戦闘軍人とは区別されて安全を確保されていたと言われています。

 

負傷して命を落としてしまうと、艦船の安全が危うくなりますからね…。

 

 

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鮫島純子の結婚式は凄まじいものだった理由とは

 

鮫島純子さんの結婚式は、現在の華やかな結婚式とはかけ離れていて、食糧不足のため人数制限をして3回にも分けて披露宴を行っていました!

 

現在では結婚式と披露宴を分けるとか、海外挙式をして日本で1.5次会や2次会をやるとかはありますけど、さすがに食糧不足で3回に分けることはありませんね!

 

帝国ホテル画像提供:東洋経済オンライン/帝国ホテル

 

1回目は両家の親戚や両親の友人を招待し、祖父である渋沢栄一さんが作った帝国ホテルで行い、2回目は先生や友人を別会場で、そして3回目は昔から働いている人や植木屋さんなどの出入りしている人たちを呼び目黒雅叙園で行われました。

 

 

しかし、披露宴中に東京で初の米軍機が焼夷弾という建造物を焼き払う目的で使う、燃やす薬剤を入れた投下爆弾や砲弾を川崎工業地帯に落としたのです!!!

 

鮫島純子さんはもちろん花嫁衣裳を着ています!!

 

 

花嫁衣裳のまま、雅叙園の防空壕に誘導され、夫の鮫島員重さんは横須賀に向かうという、なんとも凄まじい結婚式ですよね…。

 

本当に現在は、なんだかんだ言っても平和で幸せな結婚式を挙げることができているんだなと思いました。

 

 

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鮫島純子の子供は何人?

 

子供2人と母親

 

鮫島純子さんと鮫島員重さんが結婚してから1年ほど経ったころに長男が誕生し、続いて年子で次男が誕生しています。

 

次男が誕生して7カ月が経ったころに本格的な空襲が始まりました。

 

 

結婚後に鮫島員重さんは名古屋に転勤になり、戦闘機を作る工場があったので、まさに狙われる場所に住んでいたということです!

 

鮫島純子さんの子供は3人いるということなのですが、結婚した年が1942年(昭和17年)そして、長男が生まれたのが1943年(昭和18年)、次男が生まれたのが1944年(昭和19年)です。

 

1945年(昭和20年)に終戦しているので、終戦後に生まれたのではないかな?と私は考えています。

 

男の子が3人いると話しているので、三男は戦後に生まれてきたのだと思います。

 

 

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鮫島純子が子供と共に生き抜いた戦争

 

戦闘機を作る名古屋にいたことで空襲体験をした鮫島純子さんですが、なんと鮫島員重さんは3か月出張中で家にはいなかったのです!

 

しかも、子供は年子で次男はまだ生後7か月です!!

 

私だったら本当に気がおかしくなりそうですよ。

 

 

やはり鮫島純子さんも【幼子2人を抱えてまさに私の人生は急転した】と話しているように、母親としてはなんとしてでも子供を守らなければいけない!と思う中、どうしたら守れるのだろうという不安でいっぱいだったと思うんです。

 

 

子供と手をつなぐ母

 

 

そんな中でも助けてくれた人はいて、長男を出産した病院の看護婦長さんの紹介で15歳のしっかりしたかわいい子が家事や子供の面倒を見るお手伝いをしてくれていたそうです。

 

15歳って中学生から高校生くらいの子だと思うのですが、親が安全な場所に連れ戻そうとしても拒否し、空襲が起きている中で鮫島純子さんを支えたのは本当に責任感の強い女性だったのですね。

 

火の海になっても、逃げずに必死に火を消すのを手伝ってくれたというのだから、鮫島純子さんが生き抜くことができたのも、15歳の女の子がいてくれたからなのかもしれません。

 

一緒に幼い2人の子供を守って、2人でどうしたらいいかを考えて行動したから、戦争を生き抜くことができたのではないかと私は思いました。

 

 

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まとめ

 

【鮫島純子(渋沢栄一孫娘)夫との結婚式が凄まじい!子供と生き抜く戦争】はいかがでしたか?

 

結婚式で花嫁が衣装のまま防空壕へ逃げるという衝撃な事実が、一番心が痛みました。

 

現在では、心配することなく結婚式は無事に済んでいきますからね…。

 

日々に感謝して生きていかないといけないなと思いました。

 

 

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